2013 05 13

だから養子にしろって

卵子提供についての、毎日新聞の記事。

病気で卵子がない女性のため、卵子の提供者を神戸市のNPOが募る国内初の取り組みに応募した九州地方の女性会社員(31)が、毎日新聞の取材に応じた。 「妊娠を望む女性が喜びを感じられれば」と動機を明かす一方、提供した卵子で生まれた子どもが出自を知った時の心境を思い、悩む気持ちも漏らした。 卵子提供で生まれる子どもを巡っては法律上、想定されておらず、生まれた子どもの精神面でのフォローについて体制整備を急ぐべきだとの指摘がある。 卵子提供する女性が取材で心境を語るのは国内では珍しい。

〜中略〜

OD-NETのルールでは、提供した卵子で生まれた子どもは、15歳になれば、提供者の氏名や住所を知る権利があるとしている。 「本人が希望すれば、会うのは自分の責任」と言い切る。

ただ、既に実施されている精子提供では、出自を知ってショックを受けたり、自己喪失感に悩んだりすることが問題になっている。 「いずれ遺伝子診断などで知る日がくる。その時、その子の気持ちを思うと」と話すと、言葉を詰まらせた。

自分の子どもたちへの影響も、不安がぬぐえない。 卵子提供したことは話そうと考えている。 しかし、「今、話すべきか、(提供した卵子で生まれた子どもから)15年後に面会を求められた時に話すべきか、迷う」と打ち明けた。

それでも、提供する気持ちに揺らぎはない。 命に差はない。 子どもの幸せは育て方で決まると考えている。 出自を巡ってさまざまなトラブルが起きても、乗り越えられると信じている。 女性は「提供された卵子で生まれても、不幸になることはない。命を尊重したい」と自分に言い聞かせるように言った。

いろいろ奇麗に言ってるけど、やってることは文字通りの 托卵 だよな。 男だけじゃなくて女にも、自らの遺伝子をバラ撒く道が開かれたってことか。 「産む機械」 なんて比喩に敏感に反応する人が増えるんだろうな。 機械と使用者じゃ思いの向きは真逆だけど、そのことから目を背けたいって点では一致する訳だし。

ま、それはそれとして。 自分らが介在しなければ生じない事態なのに、そのことを棚に上げて、勝手に権利を定義して 会うのは自分の責任 なんて言い切っちゃうような連中はクズだろ。 この先きっと、この連中の言うマッチングが利権になるのだ。

卵子を提供する人はどうなんだろう。 なんか、宗教にのめり込む人と同じ臭いを感じるのだが。 何か心の奥底にわだかまりがあって、そこから目をそらすために、ボランティア活動にはまっているような。 まあ、動機がどうであれ、それで誰かの役に立つなら良いんだけどさ。

この記事でインタビューに応えている人は、 提供された卵子で生まれても、不幸になることはない と言ったそうだ。 その一方で、何らかの問題があることも判っているから 乗り越えられると信じている なんて言わなければならないのだろう。

記事のニュアンス、例えば 自分に言い聞かせるように と言う辺り、本当にそうだったのか、新聞社の方針で付けられたものか判らないが、実際にそう言ったのなら訊いてみたいものだな。 「自分が産んだ子と、卵子を提供した先で産まれた子と、どちらが幸せか?」 と。 できれば10年置きぐらいで、定期的に。

10年後には郭公が放送禁止用語になってたりして。