2013 07 05

子供は嫌い

タイトルだけずらっと並べてヘッドライン風にしているが、クリックすると同様のサイトに飛ばされて、記事本文(のサイト)になかなか辿り着かないやつ。 ここ数年で急に増えてなかなか苛々させてくれるのだが、これはこれで役に立つときもある。 いや、役に立つって程でもないか。 自分から積極的にアクセスしたりしないだろうサイトに何となく辿り着いて、へーって思ったりする程度なんだけど、まあちょっと面白かったりするのだな。 辞書で何か調べるときに寄り道する感覚。

そんな中で見つけたのが あらゆる危険から女性を守る と謳う WooRis に載っていた記事。 子供の心に全く響かない叱り方。

  1. 話が長い
  2. 言葉は丁寧だけど、声が怒ってる
  3. 子どもの言い分をさえぎって叱る
  4. 昔のことまで持ち出して、子どもを責める
  5. 何が何でも、自分の言うとおりにさせようとする
  6. 「あなたはどう思う?」と聞きながら、子どもが意見すると否定する

これがそのまま既婚者が愚痴る奥さんの嫌なところだったので笑ってしまった。 特に後半。 新婚当初はいそいそと家に返ってたのが、数年経つと進んで残業するようになっていて、会社の食堂で夕食を食べながら同じようなことで愚痴ってた。

黙っていると不機嫌になる。 何か言えば否定される。 望む答えが出るまでこの繰り返し。

まあ、心に響くよな。 ダメージとして。 これには更に続きがある。

仕方なく妥協すれば、二人で決めたことだからと負担を求められ、それでうまく行かなかった場合は、あの時止めてくれなかったのが悪いと責められる。

もう、ねえ。

誰に対しても同じってことは、つまりはこれが女ってものなんだろう。 で、子供に対する姿勢としては否定されているのに、男女間だと男が我慢することになるんだよな。

ま、それはそれとして。

叱る側に理性とテクニックが必要だってのはその通りだと思うけど、小学校の高学年になってからこんなことを考えなきゃいけない状況ってもう手遅れなんじゃないのかね。 物心つくかどうかの頃に、大人(が象徴する社会)に歯向かうとどうなるかという恐怖みたいなものを刻み付けておかないと、その先何をどう言ったところで効き目なんて無いんじゃないかって気がするのだが。

それと、叱ると怒るは違う、怒るのではなく叱れ、なんてよく聞くけど、怒りは見せた方が良くないか?

叱らなきゃいけない状況って、

に大別できるだろう。 後者は、その結果自分が危なくなるんだから結局同じことだったりするのだが、話の都合で敢えて分けて後者の話。

人が不快な思いをするから駄目だと叱るのに、肝心の不快感を抑えて対峙したら説得力半減だろう。 子供には、どうせ大人の話すことなんて2割も伝わらないんだから、せめて感情だけでも伝えとけよ。 怒りを抑えて叱ることは、子供の学習の機会を奪うこと。 というのは流石に言い過ぎかもしれないけどさ。

まあ、はっきり言えるのは、ちゃんと話せば判ってくれるなんてことは無いってこと。 子供に話は通じない。 顔色は伺うし、気に入られようと行動することはあるけど、それだけのこと。 怒らなくてもちゃんと話せば判ってくれるなんて言うのは、怒りたくないから話せば判ってくれると思いたいだけ。 それ自体が逃げの発想だってことに気付け。