2014 06 14

路上小説家

日野駅のバスロータリーには、自作の小説を売っている男がいる。

いつからそこにいるのかは知らない。 俺が存在に気付いたのは最近のこと。 仕事帰りにたまに見かけるのだが、たいていは道の端に腰掛けて本を読んでいる。

最初は誰かと待ち合わせかと思ったのだが、足下に置いてある小さな看板から、彼が路上小説家を自称し、自作らしい 「俺の小説」 というものを売っていると判ったのだった。 「俺の小説」 じゃなくて 「俺の本」 だったかもしれない。

仕事帰りにちらりと横目で見るぐらいなのだが、見ている範囲では、積極的に売ろうって感じには見えない。 むしろ、判る奴になら売ってやっても良いってぐらいの雰囲気。

チラッと見る以外に何の接点も無いその路上小説家を、さっき買い物に行った帰りに、宗教のパンフレット(?)を持って立っている2人組を見て思い出した。

買い物帰りの道を、夕暮れの空を見ながらぼんやりと考えていたのだが、彼は最初から路上を目指していたのだろうか。 それとも、路上に逃げてきたのだろうか。 何となくだけど、逃げてきたんじゃないかって気がするな。

落選という評価が怖いから、何かの賞に応募なんてしないで、あんな奴らには俺のセンスは判らないと言うのだ。 売れないのが怖いから、路上でも積極的に売ったりせず、売ろうとしていないのだから売れないのも当たり前なんて言うのだ。

なんて、勝手にネガティブにしてしまうのだった。

ついでに俺が 「俺の小説」 と題して何か書くとしたら、なんて考えてみたのだが、

俺のは実は人に比べるとかなり小さいという説。 略して俺の小説。

えっ、それだけ? と思うだろうか。 俺もそう思う。

俺の説明はかなり少なくて足りてないという説。 略して俺の少説。

何が小さいのか、それを俺の口から言わせるのか?

俺のナニかは具体的な言葉を省きたいという説。 略して俺の省説。

いや、納得するなよ。 ナニが何だか言ってないだろ。

俺のナニが生暖かい目で笑われているという説。 略して俺の笑説。

最初に浮かんできたのがこんなのだった。 小説家にはなれそうにない。

夕焼け

夕焼けというには少し淡い。 生焼け。

魚眼レンズで見たような配置で浮かぶ雲が、空の広さを感じさせてくれる。