2014 09 12

牙を剥く弱者

何かを壊すのに、一撃で壊そうとすると大きな力が必要だけど、何度も繰り返していいなら小さな力でも壊せるんだよな。 何かってのは、物はもちろんだが精神も。 そんな、たぶん傍目には小さな繰り返しで壊れそうな状態らしい老人の話。 THE PAGE から。

神戸市で保育園の近くに住む70代の男性が「子供の声がうるさい」として、保育園を運営する社会福祉法人を相手取り、防音設備の設置や慰謝料100万円の支払いを求める訴えを起こしました。 これは裁判にまで至ってしまったケースなのですが、実は最近、保育園の「騒音」をめぐるトラブルが全国各地で起こっています。 果たして保育園は「迷惑施設」なのでしょうか。

保育園の運営について周囲から苦情が出るのは、主に、子供の騒ぐ声、お遊戯などの際に使われるピアノや太鼓といった楽器の音、送迎する保護者らによる迷惑駐車などです。

子供はそもそもうるさいものですし、それはある程度やむを得ない面があります。 周辺の住民は可能な限りこういった状況を理解した上で施設を受け入れるのが望ましいところでしょう。 しかしながら、騒音や迷惑駐車などに対する感じ方は人それぞれです。 ある人にとっては何でもないことでも、別な人には苦痛と感じることもあります。

保育園の騒音問題をめぐっては、ネットや識者のコメントなどで、子供に関することなのだから、周辺住民はもっと思いやりを持つべきだとの意見がよく見られます。 しかし、保育園が置かれた環境は様々ですから、個々の事情をよく考慮しないまま、子供の声くらい我慢すべきと断定してしまうのは、あまりよい傾向とはいえません。

報道によると、訴えた男性は、保育園の北約10メートルに居住しており、70デシベル以上の騒音が発生しているとしています。 近隣住民への説明会以降、男性は騒音対策を求めてきたのですが、保育園側は対応をしておらず、男性は、「保育園についても、神戸市が工場などを対象に定めた規制基準が適用されるべき」と主張しています。

これに対して保育園側は「窓やカーテンを極力閉めるなどの配慮をしている。高い防音壁で囲むのは子供や近隣の方にとって健全な姿とは思えない」と反論しています。 報道内容を見る限りでは、保育園側は、窓を閉める以外これといった防音対策は施していないようです。 もし70デシベルという数字が本当であれば、騒々しい事務所などの水準ですので、これをうるさいと感じる人がいても不思議ではありません。

最終的にどちらの主張が認められるのかは司法の判断ですので、現時点において結論を出すのは時期尚早と思われます。 しかしながら、日本はすでに成熟社会に入っており、様々な価値観やライフスタイルの人が共存する世の中になっています。 価値観が多様化する社会で求められているのは「あうん」の呼吸ではなく、相互の価値観の違いを前提にした上での、現実的な解決策です。 その意味では、保育園は公共性の高い施設なのだから、これまでの常識で判断すれば大丈夫だろうという考え方は、今後ますます通用しなくなってくるでしょう。

この爺さんにボランティアで園児の遊び相手を頼んだりしたら、けっこう打ち解けて、子供の面倒を見てくれたりするんじゃないだろうか。 親はそんなのには大反対だろうし、制度的にも難しいんだろうけどさ。

しかし、うるさいものはうるさいよな。 子供はうるさいものだと理解はしてるけど、それと毎日うるさいのが続くのに耐えることは別の話。 うるさいのが分っているのだから防音対策をしろよと思う。

あと、騒音耐性のレベルが違うってのも、子供を持つ親には理解してほしいところだな。 タバコを吸う人がタバコの臭いに慣れてしまって自分がタバコ臭いのに気付かないように、小さい子供を持つ親は子供の騒音に慣れているので、そうじゃない人に比べてうるさいと思うレベルが上がっているのだ。 親の言う 「ちょっとぐらい」 は、実は全然ちょっとじゃないこってとを自覚してほしいものだな。

さらっと流されているけど、迷惑駐車は議論の余地無く親が悪いよな。

保育園に十分な駐車スペースが無いのかもしれない。 駐車できるところは遠くて、そこから子供を連れて歩くのは、朝の貴重な時間には厳しいのかもしれない。 でも、だから迷惑駐車していいってことにはならない。 早起きが辛いのはそいつの理由であって、保育園の近所の人に迷惑駐車を押し付ける理由にはならないのだから。

でも、きっとこの手の親は、迷惑駐車を注意されても、不貞腐れて口先だけで謝るか逆切れするかなんだろう。 「子供は社会が育てるべき」 なんて言うのは、他人に譲歩させるときだけ。 自分の子育てに口を出されるのは、それがどんなに正当な理由でも許さないのだ。

この保育園はどうだったんだろう。

ちょっと遠い駐車場に車を停めて、親子が手を繋いで保育園に向かう。 すれ違う近所の人に、親はきちんと挨拶して、子供も親を見習って 「おじいちゃん、おはよーございます!」 と手を振る。 そんな状況だったら、そうそう訴訟なんて起きないんじゃないのかね。

近所の家の駐車場を塞ぐように、酷い時には空いている駐車場に乗り入れて車を停める。 当然無断。 注意すれば逆切れ。 目が合った近所の人を、まるで不審者を見るように睨みつけて、足早に保育園に向かう。 送ってすぐ帰るのかと思ったら、暇な主婦同士がダラダラ井戸端会議を始めて邪魔なまま。 そんな状況だったら、そんな連中の子供の声なんてただもう煩いだけだろう。

そうした親の姿が醜いものだと教えることも保育園の仕事じゃないかと思うけど、まあ、やらないよな。

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障害は個性! だけど、個性じゃない障害もあるという話。 時事通信から。

埼玉県川越市の県立特別支援学校に通う全盲の女子生徒が足を蹴られ、けがをした事件で、県警は12日、暴行したとみられる同県狭山市の男(44)を特定し、任意捜査を開始したと発表した。 男には知的障害があり、県警は責任能力の有無など慎重に調べを進めている。

捜査1課によると、男は狭山市内の施設に入所し、社会復帰に向けた軽作業を行っている。 目撃情報などから特定したが、調べに対しても受け答えが困難な状況で、事件について明確な供述を得られていないという。

メディアの取り扱いが一気に小さくなるんだろうな。

テレビでは点字ブロックがいかに通行人に無視されているかを特集したりしてたのに、

知的障碍者 > その他の障碍者

と、メディアでの弱者ランキング最上位の存在が加害者になってしまって、責めたくても責められない状態だろうか。 弱者ランキング、またの名を天使ランキング。 上にいく程、ピュアな良い人ばかりということになっているのだ。

しかし、何でもそうだけど、保護される枠からギリギリ外れた人が最弱なんだよな。 知的障碍と事件報道なら、保護されるのは

知的障碍者 > 一般人 > 知的障碍者認定のギリギリ選外

で、不等号は実際には越えられない壁状態。

いや、メディア的には知的障碍者認定のギリギリ選外なんて枠は無くて、それは一般人の犯罪者ってことなんだろうけどさ。 俺が勝手に凶悪犯や常習犯を、抑制機能に何か問題があるからそうなってしまう、ある種の障碍者と思っているからなんだけどさ。