2015 01 14

表現手段の自由

バカにしてマジ切れされた人が、バカにする自由を主張する話。 朝日新聞から。

14日に発行される週刊新聞「シャルリー・エブド」特別号の表紙を描いた風刺漫画家レナルド・ルジエさん(43)が13日、パリ市内で記者会見を開いた。 ルジエさんは「私たちは表現したいものを表現しているだけだ」と訴えた。

数多くの同僚が殺害されただけに、憔悴した様子で、時折大きく息をつきながら話し続けた。 ルジエさんは「表現の自由は、表現の自由だ。『自由だ。だけれど……』なんて留保をつける必要はない」と語った。 「我々は報道の自由のためではなく、自分の考えを表現するために描く。『シャルリーは挑発的だ。時にうそつきだ』という人がいる。でもそれは、やっぱり表現の自由なんだ」と強調した。

特別号の表紙は、「すべては許される」という見出しがつけられている。 そこに、目から涙粒をこぼしながら、悲しそうな表情の預言者ムハンマドが、白い衣装をまとい、胸の前で連続テロに抗議する合言葉「私はシャルリー」が書かれたプラカードを掲げている。

表現の自由ってのはもう聞き飽きるぐらいだけど、これを絶対に守るべきだと主張する人も、表現の手段については全然自由を認めてないんだよな。 表現したいものが怒りや憎しみであっても構わない。 でも、表現手段は言論限定。 暴力で表現する自由は認めない。

まあ、そりゃそうだよなって話なんだけどさ。 でも、嘘も表現の自由ってのは無いだろう。 そこを認めるなら、暴力による表現の自由も認めろよ。 ペンによる暴力の自由だけじゃなくて、物理攻撃の方も。

あと、犯人がユーモアを失っていたとは考えても、自分らの漫画がつまらなくて失ったユーモアを取り戻してやることができなかったとは考えないのがフランス人なんだよな。 ユーモアがどうなんて言うなら、まずその点を反省しろよ。 腐っても漫画家なんだからさ。

さて、言論の自由を訴える会見の一方でこんなことも。 時事ドットコムから。

フランス検察当局は12日、連続テロ事件の実行犯を擁護するような表現をインターネット上に書き込んだとして、仏風刺芸人デュドネ氏の捜査を開始したことを明らかにした。

仏メディアによると、デュドネ氏は事件後、自身のフェイスブック(FB)で「俺はシャルリー・クリバリのような気持ちだ」と書き込み。 犠牲者への共感を示すスローガン「私はシャルリー」と事件のアメディ・クリバリ容疑者=死亡当時(32)=の名前を組み合わせた言葉遊びとみられ、テロ実行犯に共感し、仏全土で盛り上がる反テロ運動をからかう内容とも解釈できる。

クリバリ容疑者はユダヤ人向け食料店を襲い、ユダヤ人の人質4人を殺害したとされる。 デュドネ氏はもともとユダヤ人に対する過激なジョークで知られ、過去に裁判所から公演禁止の決定を受けたことがある。 同氏は騒動を受けて、FBの書き込みを削除した。

バルス首相は12日、記者団に「表現の自由はあるが、テロ礼賛は見過ごせない犯罪だ」とデュドネ氏の言動を批判。 一方、同氏は政府に宛てた公開書簡で「自分は人を笑わせようとしただけ。(襲撃された風刺紙の)シャルリー・エブドと同じだ」と反論した。

シャルリー・エブドがここで積極的にデュドネを擁護すれば、表現の自由って言葉にも説得力が出るんだけどね。