2015 03 29

マグリット

マグリットって、マグロの最上級って感じがする。 本来はマグリストなのだが、発音しやすい形で定着してマグリット。 マグロ、マグラー、マグリット。 オランダ語は全く知らないが、こうして並べてみると妙に馴染む。 ちなみにこのマグロは、高級食材ではなくて、動かない比喩としてのマグロ。 その最上級なので、もう何をしてもピクリともしない状態。 それがマグリット。 心が折れそうだ。

まあそんなことはどうでもよくて、国立新美術館でやっているマグリット展に行ってきた。

展示は時代に沿って、駆け出しの頃からシュールレアリズムへの傾倒、戦時中の画風激変を経て、再びシュールレアリズムへの回帰という構成。 結構な数の作品が展示されているのだが、時代による変化が激しいので、最後まで飽きることなく見れる。

で、一通り見て思うのは、真面目な人なんだろうってこと。

この人の作品は、良くも悪くも細部まできっちり描かれているのだが、それはある種の人から感じられる異常性なんかはなくて、割と常識的な範囲で生真面目に頑張ったという感じの丁寧さ。 絵のネタもそう。 シュールレアリズム時代の作品には、常識人が頑張って考えてみました的な生真面目さが漂っていて、なんだか妙な安心感があるのだ。 まあ、安心感なんて、マグリットにとっては全く褒め言葉では無いのかもしれないけどさ。

あと、マグリットの作品は大きさの影響をあまり受け無い気がするな。 写真でも絵でもそうだが、大抵の場合、大きな実物を見るのとミュージアムショップで絵葉書になっているのを見るのとでは、受ける印象がまるで違うのだが、今回はそうでもなかった。 シュールレアリズムの場合、美しさや迫力よりも不自然さに重きを置いているからだろうか。 でも、キリコはそんなことなかったんだよな。

ちょっと面白かったのが 恋人たち という作品。 解説には 布越しの口づけは見る者に触覚的な不快感を覚えさせる とあって、連れのお嬢さんは 「確かにちょっと不快かも」 なんて言ってたのだが、俺は逆にちょっと安心感を感じてしまった。 この辺りは、自身の心の持ち様の反映なんだろう。

そう言えば、隣で白日会の展示もやっていたのだが、俺は最初それを 「自白会」 と読んでしまったんだよな。 で、その話をしたのだが。

「さっき白日会ってあったの、自白会って読んじゃってさ。 どんな会なんだって、ちょっとびっくりしたよ」

「あ、それ私も」

「自白会って、実際にあったら何をするんだろうね」

「やっぱり、みんなで取り囲んで自白させるんじゃない? がーって責め立てて」

「え? させるの? 俺は自白する立場で想像してたんだけど。 いろいろ責め立てられて」

と、まるで逆を考えていたんだよな。 袋を被った姿にちょっと安心するのも、自分の内に何か疚しいものを抱えているからだろうか。

ちなみに、俺が不快に感じたのは 陵辱 という作品。 顔が裸体になっているやつ。

あと、駆け出しの頃の作品、主にポスターなのだが、これが意外に良い感じだった。 この頃の画風は全然違ってて、知らない人が見たらマグリットだとは思わないだろう。 まあ、俺のことなんだけど。

国立新美術館

国立新美術館では同時にルーヴル美術館展もやっていて、ハシゴすることも考えていたのだが、体力的に無理だった。 そっちはまた別の機会に。

桜とクレーン

六本木の桜は満開の少し前といったところ。

このもう少し先、ガレリアの横の桜並木で、コスプレさんが写真撮影をしていた。 魔法少女っぽいフリフリのピンクのスカートのおっさんと、ちょっと可愛い感じの女の子。 いや、チラッと見て女の子と思ったのだけど、女装レベルが高い男なのかもしれないのか。 まあ男だろうが女だろうが俺には関係ないし、どっちでもいいんだけどさ。 でも、こいつらもきっと、自白会では自白する側だ。