2015 11 29

宝石と美人

日曜の上野は人が多い。 今更言うようなことじゃないが、久しぶりに日曜に上野に行ってみたら、もうそれ以外の感想が出無いぐらいの人の多さだった。 このうちの半分ぐらいは、きっと大した用も無いのにやってきて、無駄にブラブラしているのだ。

待ち合わせしていたお嬢さんから遅れるとの連絡があったので、俺もそのブラブラしている人に混じって、しばらく公園内を散歩。

公孫樹

国立西洋美術館の横の公孫樹は、今がちょうど見頃。

階段

国立科学博物館の前の階段。 この角度が何となく好き。

大仏

上野大仏。 昔は高さ6mの全身像だったらしいが、いろいろあって今は顔だけ。

絵馬

これに合格を祈願している時点で不合格だと思う。 ネタか?

紅葉

紅葉は微妙。

THE ART of BVLGARI

上野に行ったのは、東京国立博物館でやっている THE ART of BVLGARI 130年にわたるイタリアの美の至宝 を見るため。 ちなみに今日が最終日。 日曜日かつ最終日のせいか、館内は大変な混雑だった。

展示は主にアクセサリーなのだが、アクセサリーという言葉で想像するような添え物っぽいものではない。 逆に、身につける人の方がこの展示物のアクセサリーなんじゃないかと思えるぐらいの、何と言うか主役オーラ?が漂っている物ばかり。 いったい誰が似合うのかというのは、とても自然な疑問だと思う。 イタリアなら、全盛期のモニカ・ベルッチとか? たいていの場合は、正しい意味で役不足になりそうだな。

展示品はどれも結構大きな宝石が使われていて、最初はその大きさに感心するのだが、しかし凄いのは大きさよりも加工の細かさや丁寧さの方。 大きさだけならもっと古い時代の物の方が上なのだが、加工の精度はこちらが段違いに上。 平面はきっちり平面に、曲線は綺麗に揃った曲線に、正確に加工されたものが緻密に配置されている。 暗い館内で、それぞれに一番良い角度で照明が当たるように展示されているので、キラキラがもう半端無い。

しかし全体のデザインセンスには疑問を感じる物もちらほらあった。 蛇をモチーフにしたものは、俺にはどれも今一つ。 パカッと口を開けると時計ってどうよ。 まあ、じゃあどうだったら良いのかと訊かれても答えられないんだけどさ。

いくつか和風の物もあったのだが、どれも実験的に作ってみましたって感じだった。 東洋風のモチーフ。 抑え目の色調。 左右非対称の配置。 扇型のペンダントはこれらが奇麗にまとまっていたが、三保の松原?のブローチは鏤めた宝石で雰囲気が台無しになっていたような。

あと、金ってかなり主張が強いんだね。 宝石は、プラチナや銀がベースだと引き立って見えるけど、金だと特にダイアモンドがちょっと埋没する感じ。 それが駄目って訳じゃないのだが、金はもう金だけで良いんじゃないかとも思う。 いや、ルビーはあってもいいか。

映画で使われた衣装も展示してあったが、こっちは良さがさっぱり判らない。 実際に着ている写真を見て思ったのは、俺ならこれは着せないってこと。 お前は何も着てないのが好きなんだろうと言われても否定はしないが、着せるとしてもこれじゃない。

肉筆浮世絵

ブルガリの後は東京都美術館の モネ展 に行くつもりだったのだが、そっちは更に混んでいて入場待ちの行列ができていたので、予定を変更して上野の森美術館へ。 こちらは Weston Collection 肉筆浮世絵 美の競艶 が始まったばかり。

展示は題目通り、肉筆の美人画が中心。 江戸初期から明治にかけての作品が、ほぼ時代順に展示されている。

肉筆画なのだが、肉筆だからこそできた表現みたいなものは、あんまり無かったような気がするな。 よく見ると細かいのだが、余程よく見なければ版画とそう変わらない雰囲気。 まあそこは彫り師や刷り師の技量を褒めるべきなんだろうけど。

版画との違いは色の鮮やかさ。 肉筆画の多くは受注生産の一点物だそうで、絵の具も良い物を使っているらしい。

展示品の時代にはおよそ300年の幅があるのだが、美人の顔はどの時代でも大体同じ。 基本的な様式を守った上に、画家の個性を少しだけ乗せているような感じ。 それでもやはり個性の主張や巧拙の差はあって、見る側の好みに反映される。 この日、俺が一番良いと感じたのは、顔だけなら藤麿の 美人戯犬図 だった。

顔がシンプルなのに比べると、着物は格段に手が込んでいる。 これまた様式なのか、着物の模様は位置や角度に関係なく平面的なのが多いのだが、その細やかさは命をかけていると言っても言い過ぎでは無い勢い。 黒地に赤や黄色といったコントラストが強く目立つところだけじゃない。 一見黒一色なのが、よく見ると濃紺の細かいパターンが繰り返されていたりするのだ。 その情熱をなぜ顔に向けないのか と、着物への情熱に感心する一方でずっとそう思っていた。

これ、今だから美人画として見ているが、当時はファッション画だったのかもしれないな。 パトロンが呉服屋だったりして、宣伝も兼ねているとか。 顔がシンプルなのも、着物を引き立たせるためと考えれば、納得できなくも無い。

全然関係無いが、肉筆って何だかちょっとエロいよな。

柔肌を 濡れて彷徨う 肉の筆

みたいな、ちょっと妄想が捗る感じ。 いや、肉筆ってのは、俺が妄想しているような物じゃ無いんだけどね。