2015 12 13

明日はどっちだ

都会の子供をどう遊ばせるかという話。 THE PAGE から。

街の中から、子供の楽しげな声が聞こえることが少なくなっています。 少子化もその要因ですが、公園が「子供の遊び場ではなくなっている」こともその一つです。 公園が遊び場ではなく、単なる空間と化してしまった理由はさまざまですが、息苦しくなっている公園に反して、親たちからは子供が自由に遊べる場をつくろうとする動きも出てきています。 東京・世田谷区の「羽根木公園」に開設されているプレーパークの事例をみてみましょう。

〜中略〜

プレーパークは子供たちが楽しく遊べる場になっていますが、行政にクレームが寄せられることも珍しくありません。

プレーパークのある世田谷区はプレーパークの意義に理解を示し、支援もおこなっています。 また、東京都の舛添要一都知事は「幼児期に大きな声を出して遊ぶことは成長過程において大事なこと」と、子育て支援に関して社会に理解を求めています。 都議会も都知事の意向に同調し、環境確保条例を改正。 条例で規定されている騒音から「子供の声や足音」などを削除しています。

行政が子供の声などを騒音には該当しないと規定しても、それは法律的な話です。 子供の遊ぶ声を不快に思う人はいることでしょう。

プレーパーク内は自由に遊べるといっても、声や物音は園内の外にも響きます。 プレーパークでは太鼓を叩く、楽器を演奏するといった遊びをすることもあります。 それだけに、騒音問題は避けて通れません。

「騒音の問題は、区の担当者や町内会長さんとコミュニケーションを密にしておくことが重要だと思います。 イベント開催時にはカレーの無料チケットを配るなど、近隣住民の方々にも参加してもらえるようにして、プレーパークを理解してもらえるように努めています。 また、行政とのコミュニケーションも重要です。 コミュニケーションをきちんと取ることで、区にとってプレーパークは重要な施設であると認識してもらえるようになりました。 そうした行政の認識は、プレーパークを運営する上でも大きいと感じます」(広報運営委員を務める首藤万千子さん)

騒音問題のほかにも、プレーパークならではの苦労があります。 子供たちは高いところに登って遊ぶのが好きなので、わざわざマンガを読むだけなのに物置小屋の上に登ることもあるのです。 すると、隣接する民家から『家の中を覗かれているように感じる』と苦情が寄せられたのです。

「その場合、物置小屋に登るのを禁止にはしません。 物置の上で遊べる環境を残しながら地域との折り合いをつけるため、登っても迷惑のかからない位置に物置を移動させました。 あくまでも物置に登って遊べる環境は残します。 その中で折り合いをつける工夫を考えるのです」(同)

羽根木プレーパークが、開園してから36年が経ちました。 その間、世田谷区は3つのプレーパークを新たに開設しています。 世田谷区以外でも、プレーパークの理念に共鳴する行政や研究者、親たちによってプレーパークを開設する動きが見られます。 自由に遊べる場は拡大を続けています。

自由に遊べるプレーパークは、決して新しい公園ではありません。 しかし、公園が子供の遊び場機能を喪失していく中で、プレーパークの“自由に遊べる”という考え方と取り組みが注目されているのです。

禁止だらけにして子供を遊びにくくしているのは、たいていの場合、その親だったりするんだけどね。

俺が子供の頃は、住んでいたのが田舎だったこともあって、だいたい山や川で遊んでいた。 近所に家はあるにはあるが、少々騒いでも音が気にならない距離。 うるさいと注意された記憶はない。

その点、都会の子供は苦労するんだろうと一瞬思ったが、よくよく考えてみれば、山や川で遊んでいたのはそれしかなかったからでもあるんだよな。 ゲーム機なんて無かったし。 今の子供に自然の中で遊ぶかゲーム機で遊ぶかを選ばせたら、ほとんどが後者を選ぶんじゃないだろうか。 両方取って、自然の中でゲーム機で遊ぶのかな。 どっちにしても大人しそうだ。

ところで、記事中の 家の中を覗かれているように感じる ってのは、周辺住民には神経質な人もいるという例として挙げているのだと思うが、これ、実際に覗く子供はいるからね。 覗くだけならまだいいけど、窓が開いている時は、その窓にゴミを投げ込んで遊んだりするのもいる。

私の子供はそんなことをしないなんて親は言うが、それは親の前でしないだけ。 子供は、一人でいる時は良い子かもしれないが、数人集まるとたいていはクソガキになるのだ。

で、記事の場合はその対応が 登っても迷惑のかからない位置に物置を移動 で、これを 地域との折り合いをつける工夫 としている。 しかし実際にその工夫をしたのが運営スタッフだけで、子供にとっては 「何故か物置の位置が変わっていた」 だったとしたら、それは自分の行動を迷惑に思う人がいるということを学ぶ機会を奪うことでもあるんだよな。 それでいいのか?

公園の看板には 自分の責任で自由に遊ぶ とあるが、実際に遊んでいる子供は責任を取れないだろう。 ここで持ち出すのもどうかとおもうが少年法ってものもあるし、本当に責任を取らなければならないような場面では全く役に立たないのが子供。

看板に 「あるラインを越えたら親子運営スタッフ揃ってぶん殴られても文句は言いません」 ぐらいのことが一緒に書いてあれば説得力も増すと思うが、そんな場面になると何故か許してもらう側が 「子供のしたことだから」 なんて言うのだ。

のびのび育った結果がモンスターなんてことにならなきゃいいのだが。

なんて思っていたところに、タイムリーにそこそこ育った人たちの記事が。 毎日新聞から。

政府が掲げる最低賃金1000円(時給)への引き上げでは生活苦は解消されないとして、最低賃金1500円の実現を求めるデモが13日、東京都内で行われた。 主催者発表で約500人が参加した。

デモは大学生や20〜30代の非正規労働者などでつくるグループ「AEQUITAS」(エキタス=ラテン語で公正の意味)が企画。 参加者は東京都新宿区の柏木公園を出発し、「最低賃金今すぐ上げろ!」「中小企業に税金回せ!」などと訴えながら、約1時間半かけてJR新宿駅周辺などを練り歩いた。

エキタスは大幅な最賃引き上げを求め、すでに10月17日、都内で約700人が参加するデモを実施。 20日に福岡市と名古屋市、23日に札幌市でも同様のデモが計画されている。

500人も集まったのなら、望むだけの最低賃金を保証する会社を自分たちで作ればいいのに。 そうして作った自分たちの会社を上手く回して、利益を上げて、賃金も順調に増やして見せることが最も有効なデモだろう。