2016 09 29

ダリ

トラブルが一段落してゆっくりできると思ったらまた別のトラブルが発生したり、なんだかんだで隙間なく忙しい。 今月はちょっとゆっくりできるだろうと、先月は思っていたんだけどな。 って、先々月も同じことを思っていた気がするな。

そんな忙しい日々で積み重なった時間の調整のために、今日は休暇。 せっかくの平日の休みなので、新国立美術館に ダリ展 を見に行ってきた。

ダリ。

高校から大学にかけて、なんかもう貪るようにダリの絵を見てた。 キリコやマグリットもだが、主にダリ。 多分、細かいところまで描き込まれていたのが良かったんだと思う。 そんなことを覚えていてくれたのか、後に妹が 「お兄ちゃん、こーゆーのが好きだったでしょ?」 ってダリの画集を買ってくれたんだよな。 ありがとう妹よ。

展示はおよそ歴史の順で、学生の頃から晩年まで網羅されている。 印象派風味の駆け出しの頃から、キュビズムを経てシュールレアリズムへ。 戦争から逃れてのアメリカ時代は、絵画だけでなく映画や演劇も。 そしてアメリカからスペインに戻った晩年の作品。

国立新美術館は毎回結構な数が展示されて見応えがあるのだが、今回はいつも以上に多かった気がする。 じっくり見ると結構ハード。 連れのお嬢さんは、チケットを買う時は 「ルネサンス展と一緒に買うと安いんだって。 どうする? 見るでしょ?」 なんて言ってたのだが、展示の半分を過ぎた辺りで 「まだ半分ぐらいなんでしょ? もう疲れたよ」 と、すっかりお疲れの様子だった。 見終わって余力があれば買えばいいという俺の方が正解だった訳だ。

見応えは量だけではない。 画集で見て細かいと思っても、実物を見ると細かさという点ではそれ程でも無かったりするものだが、ダリの作品は実物大でも細かかった。 きっとすっごく細い筆で丁寧に描き込んでいるんだろう。 この細かさ、透視図法なのに空気遠近法は無視で手前も奥も等しく細かいことも 「非」 或いは 「超」 現実感を作り出す一つの要因なんだろうと思う。

シュールレアリズムの人たちの特徴の一つが、モチーフの使い回しが多いこと。 きっとその人なりの何かの象徴なんだろう。 逆に、描いてみて 「これだ!」 と思ったものにずっと縛られているのかもしれないが。 ダリの場合は、たぶん蟻とつっかい棒。 内側から蝕まれて崩れていくとか、もう崩れそうなほどに蝕まれているのかもしれないとか、そんな不安を抱えていたのだろうか。

あと、今日見た中では赤色が印象的だったな。 特に 「奇妙なものたち」 は、絵葉書になって更に赤が印象的になっていた。

その他、原子のイメージが古典的だとか、奥さんのガラが田中眞紀子にちょっと似ているとか、どうでもいいことも印象に残っている。 家に帰って画像検索しようとして 「パッラーディオのタリア柱廊」 が一発で変換できたのには、絵とは全然関係無いがちょっと感動した。

神社

六本木駅から美術館に行く途中にある神社。 鳥居の朱色が印象的だった。