2017 02 27

命を奪う命の価値

津久井やまゆり園の事件の犯人は、精神鑑定の結果、責任能力ありとして起訴されることになったそうだ。 ちょっと前の時事通信から。

相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」の殺傷事件で、横浜地検は24日、元職員植松聖容疑者(27)を殺人罪などで起訴した。 社会に衝撃を与えた事件は、裁判員裁判で審理されるが、差別意識に基づいた異常な行動から、刑事責任能力の有無が最大の焦点となる。

同容疑者は「障害者は社会を不幸にする」などと供述し、鑑定留置で人格障害の一つ「自己愛性パーソナリティー障害」と診断された。 同じ人格障害で、完全責任能力が認められた例もある。

2008年に茨城県土浦市のJR荒川沖駅周辺で起きた無差別殺傷事件で、殺人罪などに問われた男は、自分を特別な存在だと思い込んだりする自己愛性パーソナリティー障害と診断された。 水戸地裁は「パーソナリティーの偏りは行為の是非の弁別や行動制御能力に直ちに影響せず、完全責任能力がある」などと認定。 一審で死刑が確定し、執行された。

刑事責任を問うには、善悪を見分け、行動を制御できる能力があったことが条件になる。

捜査関係者によると、植松容疑者は「殺してはいけないことは分かっていた」「突然のお別れをさせるようになってしまって、遺族の方には心から謝罪したい」などと供述。 検察は善悪の判断は可能で、入念な犯行準備や事件後に警察署に出頭したことなどから、行動を制御できたことを十分立証できると判断した。

精神医学の専門家によると、統合失調症などの精神障害の場合は、妄想や幻覚に支配され、自分の行動を制御できないとして、心神喪失で無罪となったり、心神耗弱で刑が減軽されたりするケースもある。 人格障害の場合は性格の偏りで、責任能力が認められる場合が多いという。

人格障害を障碍者という枠に入れていいのかどうかが微妙な気がするが、これも障害だとしていいなら、犯人の言う 障害者は社会を不幸にする が正しいってことになるんだよな。 皮肉なことに。

この事件、被害者が障害者じゃなかったら、きっと人権派を自称する人たちが現れて犯人を擁護したことだろう。 一部の人格障害が起こした事件で人格障害全体を判断してほしくないと言う人格障害持ちとその周辺の人や、人格障害を持つ人との付き合い方を説明する専門家も。

ところが今回の事件は、被害者も障害者でしかも障害のレベルは上位。 責任が問えるレベルの障害者が責任が問えないレベルの障害者を殺すという構図。 人権派がシンボル的に擁護する人権の適用対象が衝突している状態なのだ。

事件発生当時、ニュースの中で精神鑑定という言葉がほとんど出てこなかったのは、主に被害者とその家族に配慮したためだろうが、こうした衝突も理由の一つだったのだろうと思う。

まあ、そんなことを考えている俺の人格もどうかって話だが。

自分だったらどうだろう。 父が通っている介護施設で同じような事件があったら。

介護生活から解放されることにホッとして、しかしそんな自分に罪悪感も感じて、その罪悪感から目を逸らすために余計に犯人に憎しみを向けて… なんてことになりそうだな。