2017 03 11

震災6年目

東北の震災から今日でちょうど6年。 被災地では未だ帰宅が許されない地域もあるのだが、俺の中ではもう遠い昔の出来事のようになっている。 周囲には家具が雪崩状態で部屋のドアが開かなくなったなんて人もいたが、俺の家は何の被害もなかったし。 いやまあ物が落ちたりの軽微な被害はきっとあったのだろうが、父が片付けたのだろう。 少なくとも俺が家に帰り着いたときには、本棚の上にいた蛙の置物が落ちていただけだった。

そんな我が家は、今日は朝から玄関の塗装工事。 工事と言っても、ドアの枠のペンキを塗り替えるだけのものなのだが、下地塗りに数分、乾燥で1時間、本塗りに数分、また乾燥で1時間という流れで、乾燥するまではドアを閉められないんだよね。 今日は天気が良かったからいいが、それでも3月の朝の空気は地味に寒い。 この時期、東北はもっと寒かったんだろうと、今更ながら被災地を思ったりもした。

震災と言えば、被災地から避難してきた子供が、避難先で通う学校で苛められることが結構あるらしい。 放射能と呼ばれて避けられたりとか。

そんな苛めが発生するのを 「無知だから」 とし 「放射能に対する正しい知識が身につけばそうした苛めは無くなる」 なんてコメントをする人がいるが、もう根本的なところで間違っているよな。

放射能に対して無知なのは、きっとそうなんだろう。 そこは否定しないが、放射能は苛めの理由じゃない。 きっかけであり口実であり手段なのだ。 放射能に対して正しい知識を持ったところで放射能呼びは変えないだろうし、実情を知ったら税金泥棒なんて言い出したりもするだろう。

結局のところ 楽しいから苛める のだ。

集団内の序列で自分より下と見做す或いは落とすための行為が苛めで、優位に立っていることを確認できるのが楽しいから苛めるのだ。 積極的に楽しいとまではいかなくて、苛める側に立つことでことで安心するからってパターンもあるだろうが、何にせよプラスの感情があって苛めるのだな。

だから対策も、集団生活する動物の本能というぐらいの認識でやらないと、正しい知識を教えるなんてお花畑な対症療法じゃ何も解決しないだろう。 まあ、じゃあどうすりゃいいのかと訊かれても、俺にもこれといった答えが無いんだけどさ。 平和的解決に対しては。

トヨタレンタリース跡地

トヨタレンタリース跡地。 店舗は駅の反対側に移転するらしい。

毎日見ていても、建物が無くなるとそこに何があったかをあっというまに忘れてしまうものだが、ここは割と覚えている。 看板の文字の並びにもう少し工夫があってもいいのに… なんて思いながら、割と意識して見ていたからだろうか。

フリージア

ベランダのフリージア。

白が最初に咲き、黄色、赤と続く。 毎年そうなので、色だけじゃなくて種類もちょっと違うのかもしれない。 花以外では全く区別がつかないが。

そうそう、見た目で判らないで思い出した。 散歩の途中、高幡不動の屋台で今川焼きを買ったのだが。

「二つください」

「味は?」

「二つとも餡で」

「餡ですね」

で、店のおっさん、焼きあがって並べてあるのを手に取り、継ぎ目を割り開いて中を確かめ始めた。

中身によって列を分けているのだろうと思っていたのだが、少なくともこの屋台ではそんなことはなかったようだ。 同じ場所で前に買った時はそんなことはしていなかったのだが、その時と人も同じだったかどうか、今となっては判らない。

結局、割り開いたのは三つ。 うち一つが外れだったようで、また焼き上がりの列に戻されていた。 まあ、そうなるよな。

今川焼きは普通に美味しかった。