2017 03 30

ヴェネツィア派

今日は時間調整で休暇。 東京都美術館でやっている ティツィアーノとヴェネツィア派展 を見てきた。

ルネサンス期のイタリアでヴェネツィアを中心に活躍した活動していた芸術家たちがヴェネツィア派で、ティツィアーノはその中心的存在。 同じ頃にフィレンツェで活躍していたレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロ、ラファエロのフィレンツェ派と比べると、デッサンでは劣るが色の使い方が優れているのだそうだ。

デッサンはまあ確かに微妙ではあるが、平均的な微妙さとも思う。 皆だいたこんなもんだろうっていう程度。 作品の解説に 意図的に頭部を小さく描く極端な短縮法 なんて書いてあったが、普通に描いたつもりでバランスがおかしくなってしまったことを開き直っているんじゃないかという疑いを持たせる程度でもある。

売りのはずの色は、言う程に凄いとは思えなかったが、これは経年劣化のせいなんだろう。 描き上げた当時は、きっともっと綺麗だったのだ。 速い筆使いとか緻密な塗り重ねとか解説に書いてあったが、そんなことよりも描かれた当時、500年前の色彩がどうだったのかを見せて欲しいものだ。

とは言え、形式に囚われた聖母子像などと比べると、ヴェネツィア派の作品は圧倒的に華やかで瑞々しいのも確か。 まあ、だから余計に描かれた当時の色が見たくなるんだけどさ。 こうした展示会ではよく音声解説のための機器貸し出しがあるが、当時の色彩を被せて見れるようなゴーグルなんかを開発して貸し出して欲しいものだな。

しかし形式的な聖母子像ってのは、なんでああなんだろうね。 今回も割とたくさん展示されていたけど、だいたいどれも無表情な母親とおっさん顔で不健康な子供。 たまに表情があると思ったら、邪悪な笑顔だったりするし。 経済産業大臣(?)の甘利君に似た子もいたな。

見方の問題だろうか。 薄暗い高い所に設置して、見上げるように見たときに最も良く見えるように設計されていて、明るい中で正面から見るのが想定外とか。 無いか。 薄暗い中で見たらもっと邪悪な感じがしそう。

印象に残っているのはやはりティツィアーノの作品。

フローラ

瑞々しい健康的な肌。 抱き心地の良さそうな肉付き。 そして見えそうで見えないギリギリのライン。 ティツィアーノもなかなか判っていると思わせる作品。 現代に生きる俺にはぽっちゃりが過ぎるが、当時はこれぐらいが理想だったんだろう。

子供向けのパンフレットに フローラよ♥ なんて書いてあって、ちょっと違う方向でも印象に残っている。

マグダラのマリア

このマリアさん、出張先の庶務さんに似てるんだよな。 パンフレットで見たときに庶務さんに似てると思い、実際に見たらやっぱり似てた。

他の作品で描かれている女性に同じく、荒野だか洞窟だかで長いこと修行していたとは思えない肉付きなのだが、庶務さんに似ているのでこれ以上は言わない。

色彩が売りのヴェネツィア派だが、版画も良かった。 展示の終盤に壁2面ぐらいを埋めていた、アンドレア・スキアヴォーネのエッチング、ドライポイントの作品群。 華やかな色使いの最後にモノトーンという落差も、印象に残る要因だったのかもしれない。 同じことを感じる人が多いのか、版画のコーナーはちょっと渋滞してた。

あと、額縁がやたら豪華なのがあった。 花やら顔やらの立体的な装飾が覆い尽くす金ピカ。 やりすぎると絵を殺してしまうんじゃないかと思うが、絵そのものよりも、この絵を買えるという力を示す事の方が大事だったのだろうか。 そういえば、肖像画の背景に同様のゴージャスな額縁を描いていたのがあったな。 あれもきっと肖像画の人物の力を示すアイテムだったのだろう。

上野公園の桜

上野公園の桜。

天気が良かったせいで、開花が一気に進んだのだろう。 来たときよりも帰るときの方が、明らかに花が多く開いていた。

花は綺麗だったが花見客は邪魔だった。 もう十分に混んでいる道の真ん中で撮影するとか、馬鹿だろ。

雪割草

雪割草。 上野公園の顔だけ大仏の近くで咲いていた。

+

連れのお嬢さんに塗り絵とペンのセットを貰った。 ありがとう。 失敗するとかなり勿体無いレベルなので、まずはコピーで練習するよ。 自宅にコピー機があるとこんなときに便利だね。