2017 05 02

ナビ派

三菱一号美術館に行ってきた。 現在 オルセーのナビ派展 を開催中。

ナビ派とは、19世紀末のパリで、ゴーギャンの影響を受けて前衛的な活動を行った若い芸術家グループの自称。 ナビとは預言者のことだそうだ。

ナビ派の作品が前衛的なのかどうか、現代の俺から見ると微妙。 その前にあった写実からの脱却や宗教縛りからの脱却の方が、時代背景からすれば遥かに前衛的で預言者の名に相応しいと思う。 彼らナビ派の踏み出した一歩は、確かに踏み出してはいるのだろうが、言う程大きな一歩でも無いだろう。 その程度で自分たちを予言者なんて自称してしまうのは、若者に有りがちな視野の狭さ故ではないか。

とまあ 「ナビ派」 という自称はどうかと思うが、それは作品の評価とは別の話。

ナビ派の特徴は、はっきりした輪郭線と平坦な色面とのこと。

展示の前半はそんな感じで、これがナビ派かとなんとなく掴んだ感じでいたのだが、ヴァロットンが出てきてぶち壊し。 こいつだけ違うんじゃないかと思ったら、当時の人達もそう感じていたようで、ヴァロットンはナビ派の外国人とか言われてたらしい。 実際、ヴァロットンはスイス出身の外国人だったのだが、まあ、そんなことを言ってる訳じゃないんだよな。 彫刻の作品もあったが、これはさらに違う感じだった。

ナビ派らしいナビ派の作品は、絵画というよりイラストと言った方が印象に沿う感じ。 大抵の場合、原寸大の作品は縮小版とは段違いの迫力があるのだが、ナビ派の作品からはあまり迫力や凄さといったものは感じられない。 その代わりって訳でも無いだろうが、小さくした時にも崩れないバランスの良さみたいなものがある。 実際、ミュージアムショップで絵葉書になっているのは、原寸大よりも良い感じなのが多かった。

特徴のはずのはっきりした輪郭線は、言う程はっきりしてないような気がするのだが、それは俺が漫画で育った世代だからだろうか。 この前の時代と比べると、かなり輪郭線が濃いのは確かなのだが。 なんて思っていたのだが、絵葉書を見ると確かに輪郭線が際立ってるんだよな。 この点でも、小さくした方が良い感じだった。

ミュージアムショップでは、絵葉書はどれも塗り絵とセットになっていた。 輪郭線がキーワードのナビ派だからだそうだが、塗り絵の輪郭線のクオリティは日光東照宮の彫刻修復レベル。 つまりまるで駄目ってことだが、そのせいで失敗を恐れないで塗れそうではある。

以下、印象に残った作品。

ミューズたち モーリス・ドニ

多分、今回の展覧会の看板の一つ。 紅葉の頃の野外でのお茶会の風景だろうか。 割と小さ目の作品が多い中、これは珍しく大きな絵。 だというのに、原寸大よりも絵葉書の方がぐっと綺麗に見える絵でもある。

大きい方が印象が薄くなる感じがするのは、人も木々もだいたい同じ系統の色でまとまっているからだろうか。

庭の女性たち ピエール・ボナール

白い水玉模様の服を着た女性。 猫と座る女性。 ショルダー・ケープを着た女性。 格子柄の服を着た女性。 縦長の4枚が屏風のように並んだ作品。

構成も画風も日本画っぽいと思ったら、作者のピエール・ボナールは 「日本かぶれのナビ」 と言われていたらしい。

ランプの下の昼食 ピエール・ボナール

これもピエール・ボナールだが、日本画っぽさは無い。 手前に大きな影を置くのが、テレビの中のお茶の間的な構図が基本の絵画には珍しい。 ヴァロットンの作品に同様の構図があり、そっちの方がより先鋭的だったと思うが。

じゃあ何が印象に残ったのかというと、塗り絵。 ミュージアムショップで売っていた塗り絵は、この作品が一番酷かった。

その一番酷い塗り絵も含めて、数セットの絵葉書を買った。 で、レジで絵葉書を小さい袋に入れてもらうのだが、パンフレットを入れるために大きな袋も貰った。

俺の前に並んでいた外人の母娘(?)は大きな袋一つに買った品を全部入れられていたのだが、俺の持つ小さな袋を見て欲しくなったらしい。 レジの人に向かって 「Excuse me ?」 と繰り返し言いながら、俺の持っている袋を持ち上げてアピールし始めた。

いきなり何をするのかと一瞬ムッとしたが、きっと言葉が通じなくて苦労しているだろうと思い直して 「小さい袋が欲しいんじゃないですかね」 とフォローしてみたり。 しかし 「Excuse me ?」 は俺に向かって言うべきだよな。 いや、俺にも言ったつもりだったのかな。

新緑

美術館の窓から見る新緑。 若い葉はこんな風に生えてくるのか。

上弦の月

そして今夜は上弦の月。