2017 05 05

桜と柿右衛門

高幡不動→明大前→渋谷→中目黒 と電車を乗り継ぐのだが、渋谷で京王線から東横線に乗り換えるのに歩く時間の方が、渋谷から中目黒まで電車に乗ってる時間より長いんだよな。 今更何を言ってもどうしようもないんだろうが、それでも言わずにはいられない。 もうちょっと何とかならないものか。

と、毎回同じことを思いながらの旅路。 今日は中目黒の郷さくら美術館で 第5回 桜花賞展 を見て、その後に渋谷の戸栗美術館で 柿右衛門展 を見てきた。

郷さくら美術館は、去年の夏ぐらいに初めて行った。 その時は確か水がメインテーマで、桜はついでって感じだったのだが、ついでの桜が意外に良かったんだよな。 今回は桜尽くしのようで、前回よりも桜的には期待が持てるだろうと思っていたのだが、行ってみれば期待以上だった。 やっぱり桜は良いね。

展示は当然第5回の受賞作がメインなのだが、過去、第1回からの受賞作も展示してあって、これまでどんな作品があったのかを一度に見ることができる。 それらの各作品は描かれた時間も場所も状況も様々だが、どれも画家が何を見て何に感動したのかがストレートに伝わってくる気がする。 まあ中にはコラージュもあるだろうが、それもきっと 「あの時にあそこで見たあの桜を、この景色の中で見たい」 みたいな情熱で描かれたものなのだ。

コラージュといえば、最近はすっかり見なくなったアイコラだが、俺はあれを作る情熱と努力は認める派。 首から下を他人のヌード写真で置き換えられるアイドルは、見ればきっと嫌な思いをするだろう。 顔だけを置き換えられるヌードの提供者は、もっと嫌な思いをするだろう。 そうでなくても著作権や肖像権ってものがあるし、だから公然と見せるのは駄目だと思うが、同好の士だけでひっそり楽しむなら、好きなだけ極めれば良いと思う。

って、どうでもいいか。 今日見た桜の中で印象に残ったものを挙げておこう。

花音-滝桜- 加藤忠

燃える炎のような薄紅の背景が印象的な作品。 第1回桜花賞の受賞作だそうだ。

描かれているのは、本当は燃える炎ではなくて舞い散る花弁だと思うが、第一印象が炎だったせいで、俺の中ではもう炎ってことになっている。 金閣寺炎上でもいいぐらい。

月夜の花見客 北澤龍

こちらも赤が印象的だが、方向性はだいぶ違う。 花音の動に対して、こちらは静。

桜の花が盛りの頃、夜桜見物を兼ねて高幡不動内を通って帰ることがあるのだが、その時に見上げる桜がこんな感じなんだよな。 手前が白く、奥が赤く。 花の隙間に遠い月。

柿右衛門

焼き物や骨董に興味が出てきたのはここ数年のことで、だから柿右衛門についても、知っているのは赤が特徴の磁器ってことぐらいだった。 柿右衛門もずっと昔に死んだ人って認識だったのだが、いやもちろん創始者の酒井田柿右衛門は300年以上前に死んでいるのだが、柿右衛門という名前はずっと受け継がれてるんだね。 今は15代。 襲名は2014年のことだそうだ。

しかしこの歴代酒井田柿右衛門共、名前は引き継いでおきながら、肝心の焼き物の製法を失伝してるんだよな。

酒井田柿右衛門家に伝わる「赤絵切りの覚」によれば、初代柿右衛門が赤絵の焼成に成功し、1647年には、製品を長崎で売ったといいます。 その後、1670年頃には「濁手」と呼ばれる乳白色で温かみのある白磁に、華やかな赤の上絵具を主とした絵付けを施した「柿右衛門様式」と称される作品群が成立します。 この柿右衛門様式の作品はヨーロッパにおいて絶大な人気を誇りました。 しかし、輸出事業の縮小に伴い、「濁手」素地の製法は18世紀のうちに失われてしまいます。

こんな解説が展覧会のパンフレットにあった。 駄目じゃん。

これが戦後、12代と13代の柿右衛門によって濁手の製法が再度開発されて今に至るのだそうだ。 彼らが凄かったのか、もっと前が駄目だったのか。 まあ、名前を引き継いだところで才能まで引き継ぐ訳じゃなし、出来る奴もいれば出来ない奴もいたんだろう。 出来ない奴は出来ない奴で、引き継いだ名前と自分の才能とのギャップに苦しんだのかもしれないな。

濁手を再獲得して以降、単に復古するのではなく、伝統を守りつつも現代の感覚を取り入れて変化しつつあるそうで、その変化を見せるのが今回の展覧会。

実際に12代から15代の作品を一度に見ると、変化していることがよく判る。 その変化は、俺の目には洗練に見える。 余白と絵のバランス、絵の鋭さ、鮮やかさ、なんてあれこれ語れる程判ってないが、なんか諸々 「良い感じ」 になってきている気がするよ。

まあ今回の展示は15代をプロデュースするためのものでもあるので、15代が引き立つような展示品の選択だったのかもしれない。 でも、そんな目で見ても、展示室の中央に置かれていた15代作の大きな壺は良かったと思う。

あと、俺の場合は結構細かいところが気になるので、幾何学模様がマイナスになるんだよな。 伝統的な柿右衛門様式では、皿の淵や壺の口や肩をぐるっと一周する幾何学模様があることが多いのだが、この模様の歪みが気になってしまう。 幾何学模様だからこそ判る歪み。

拘り過ぎて一周した利休あたりなら、その歪みこそが味なんて言うのだろう。 でも俺はその辺りきっちりして欲しいし、出来ないならいっそ無くして欲しい。 15代の作品にはその手の幾何学模様があまり使われてないのも、好印象の理由の一つだと思う。

石壁

戸栗美術館に行く途中にあった家の石壁。 或いは石風の壁。

一周した味

絵画や焼き物で、かつての技術が失われたのを近代現代に復元したって話をたまに聞くが、復元できたかどうかの判断って誰がするんだろう。 まばらに残された文献は試行錯誤で補完するしかなくて、繰り返しの末に本物っぽいものができたとしても、それはあくまでも本物っぽいものでしかないし。

今の時代なら化学の目、例えば結晶の様子や組成を測定することで、本物っぽさを数値化できたりするのかな。 基準となる初代柿右衛門の1670年の作品、いわば柿右衛門原器との差が一定の範囲に収まっているものを本物の柿右衛門とする、みたいな。

そうそう 「化学」 の英語の chemistry が、錬金術の Alchemy からきているのは割と有名だと思うが、この語源の言葉の成り立ちを先日初めて知った。 確か放送大学だったと思うのだが、講師がこんなこと言っていた。

Al はアラビア語の定冠詞。 chemy は元は Khem で、これは黒、エジプトの黒土のことを指していて、つまりはエジプトです。 英語で言うなら The Egypt なんですね。

今ではすっかり落ちぶれた感があるが、古代世界では超先進国だったのがエジプト。 そんなエジプトに対する憧れとか、エジプト由来として箔をつけるとか、まあそんな雰囲気だったんだろう。

もう一つ、数値で思い出したこと。

昨日だったか一昨日だったか、NHKのニュースで世論調査の結果を報じていた。 「安倍内閣を支持するか?」 とか 「憲法改正に賛成か?」 とか、結構頻繁にやってるやつ。 で、憲法改正に対しては、賛成が反対を若干上回った結果となっていた。

これ、このところずっと賛成多数なんだよな。 まあ頻繁にやっているから当然と言えば当然で、余程のことがない限り、急に数字が変わることなんてないんだけどさ。

でもNHKとしてはこんな結果になってほしくなかったんだろう。

アンケートの結果は賛成多数… でも賛成多数を結論にはしたくない… でも何度やっても賛成多数…

そんな葛藤の末に捻り出してきたのか、今回の調査にはこんな項目があった。

平和憲法を誇りに思うか?

こう訊かれると、ほとんどの人がそう思うと答えるだろう。 実際、回答は 「誇りに思う」 が80%ぐらいで、ニュースではこれが結論のような報じ方になっていた。

憲法改正に賛成が多いが、それは平和憲法を変えるということではない。

そんな感じ。

そうきたか! なんて、ちょっとニヤニヤしてしまったよ。 良い味出してる感じがして。 NHKって、何と言うか、やればできる子だよな。 その方向はアレだけど。