2017 06 13

閑散カッサンドル

都心と比べると全然近いのだが、名前に 「夢」 なんて入れてしまう地元商工会的なセンスのせいで、これまでずっとスルーしていた八王子市夢美術館。 その八王子市夢美術館に カッサンドル・ポスター展 グラフィズムの革命 を見に行ってきた。

ポスターだった。

タイトルがポスター展なんだからポスターに決まっているのだが、いかにもポスターなポスターだった。 このところ割とクラシカルな絵ばかりを見ていたからか、ポスター然とした絵がすごく目に鮮やかだった。

幾何学的な構図。 強い線。 省略と抽象。 そしてフォント。

一部の作品は下描きも並べて展示してあったが、それを見るとフォントの大切さがよく判る。 画面のほとんどを占める絵はほぼ変わらないのに、文字のスタイルが変わると印象もかなり違うのだ。 カッサンドルは死ぬまでフォントに拘ったそうだが、拘ってしまう気持ちが判る気がするよ。

そういえば死因もフォントなんだよな。 新しく作ったフォントの採用を断られて、ちょうど鬱だったのもあって自殺したって話だし。

その頃はポスターじゃない絵も描いたが、画家としての評価は結局得られなかったのだそうだ。 それも鬱の要因だったのだろうか。 ポスター作家って画家より一段低く見られてそうだし。

カッサンドルの全盛期は第一次大戦後から第二次大戦の間の頃だそうで、ポスターの印象から想像するよりも少し古い。 同時代の画壇の流行りはキュビズムやシュールレアリズムで、そのちょっと前がナビ派。

そうそう、以前ナビ派の展覧会を見たときに 「預言者を自称するなんて若気の至りだろ」 なんて思っていたのだが、あれはあれでそれなりに影響を与えていたのかもしれないな。 キュビズムやシュールレアリズムはナビ派的な表現を違う方向で発揮したもので、だいたい同じ方向に先鋭化したのがカッサンドルって感じで。

学校の美術の教材で見た記憶があるのも幾つかあった。

そんな遠い昔なのに見たことがあるって思い出せる程だから、きっと印象に残っていたのだろう。 でも実物から受ける印象は段違い。 船の大きさとか、機関車の力強さとか、線路が遠くまで続いてる感じとか、まるで別物だった。 ほんと、毎回思うけど、大きさの効果って凄いよな。

あと、縮小版では気付かなかったけど、意外に荒いんだね。 エアブラシを使っているところはそうでも無いが、筆で塗っていると思われるところは、ちょいちょい塗り斑があった。

美術館は、八王子、平日、雨、と好条件が揃ったせいかガラガラで、見るのになんのストレスもなかった。 割と狭いビルのワンフロアなので展示数は少なかったが、気楽に見るにはあのぐらいがちょうどいい。 美術館の名前はどうかと思うが、名前で展示品の価値が左右されるものでもないし、せっかく近いのだし、今後はちょっと注目しておこう。 雨の日は駅までもう少し近いとありがたいが、まあ、それは今更どうしようも無いよな。