2018 08 26

蛙の死

ちょっと遅い昼食の後に蝦の水槽を見たら、水温がやばい状態だったようで、たくさんの蝦が水際から半分ぐらい体を出して水槽の縁に張り付いていた。

水温を計ると36度。 時間的に、この後も更に上がる可能性が高い。

もともと水を変える予定だったので、いつも通り水を半分入れ替えたのだが、その水も昨日からベランダに汲み置きしていたものなので、かなり高温。 やっぱり30度半ばぐらいはありそうで、水質面の改善はできても、水温面ではほとんど改善にはならなそう。

そして実際に水を変えた結果、水温は全く変わらなかった。 エビたちが水面から上がろうとするのも同じ。

ということで、水を替えた後、板切れで日陰を作り、冷凍庫の中にあった保冷剤をビニール袋に入れて水槽に浮かべてみた。

しばらく様子を見ていたら、水槽の縁に張り付いていた蝦だちが徐々に水の中に戻っていった。 なんとかなったらしい。

さて、今日の蝦を見ていて思い出したのが蛙の話。

蛙をいきなり熱湯に入れると慌てて逃げようとするが、水に入れてじっくり温度を上げていくと、変化に気づかないまま茹だって死んでしまう。

これ、嘘だよな。 人間の社会行動の喩えとしては正しいかもしれないけど、生物の蛙としてはありえない。

いくら蛙がのんびりしていても、危険な水温になったら逃げようとする。 これは生物として自然な反応で、もう反射に近い。 本能が優勢な動物ほど、環境の変化に敏感なのだ。

逆に熱湯に入れた場合、体の小さな蛙だとほぼ瞬間的に熱が伝わって即死。 数回痙攣はするだろうが、逃げる素振りを見せるだけの時間的な余裕は無いだろう。

実際に学者が実験してそうなったのだとしたら、それは蛙が馬鹿だからじゃなくて、むしろ賢かったからではないか。 どう足掻いたところで、決して逃げられない。 逃してもらえない。 仮にここで逃げられたとしても、その先は、もっと過酷な実験を死ぬまで繰り返されるだけ。 そう悟ってしまった蛙の絶望が、逃げる気力を奪ったのではないか。 仲間の蛙が熱湯に入れられたのを見た後だったら尚のこと。

まあ、流石に蛙が賢かったからってのは言い過ぎかもしれないが、しかしこれはこれで人間社会にもありそうだな。