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来賓の式辞なんて誰も聴いてないと思っていたら、予想外なところで熱心に聴いている人が。 東京新聞から。
追悼式の式辞は政権の歴史認識や恒久平和への姿勢を映し出す。 構成や内容は例年似通う傾向にあるが、2000年以降、複数年にわたり式辞を述べた小泉純一郎、菅直人、安倍晋三の三首相には、式辞の言い回しを毎回少しでも変える工夫が見られた。
今回、660字余りの式辞原稿を昨年と比較すると、約9割が一言一句同じだった。 追加された言い回しは、戦没者の遺骨収集を巡り 「国の責務として集中的に実施する」 とした程度。 集中実施期間を29年度まで延長する改正法が6月に成立したことを反映したとみられる。
〜中略〜
前例踏襲が目立つばかりで、自身の言葉が乏しければ、不戦の決意は十分に伝わらない。 首相の後に追悼の辞を述べた尾辻秀久参院議長は、戦没者遺族としての経験にも触れながら、 「いま、私たちがしなければならないことは 『犠牲となられた方々のことを忘れないこと』 と、 『戦争を絶対に起こさないこと』 だ」 と力を込め、首相とは対照的だった。
去年と同じことを言ってるなぁ… で終わらず、全文字数、一致する文字数を数えて、一致率も計算したんだよな。 比較するのだから最低でも2年分を。 そんな面倒臭いことをやる熱意はどこから来るのか。
と思ったが、最近は論文の盗用防止のため文章比較ツールもあるし、600字程度の比較なら一瞬で終わるか。 式辞の文字起こしも自動でやってくれるだろうし。 いや、わざわざ文字にする必要もないのかも。
ちょっと面白かったのは、岸田君を貶すために、もっと嫌いであろう安倍君をちょっぴり持ち上げていること。 安倍君の時は 「言葉だけ変えても何の意味も無い」 なんて記事を書いたんじゃないかと思うが。
まあ、それはそれとして。
ほとんどの人は式辞なんて聴いちゃいないと、式辞の原稿を書く人も読む人も判っているだろう。 式辞なんて時間の無駄だと。 バッサリ切り捨てると式典として成り立たない場合もあったりするが、大抵の場合は無駄。
そんな無駄な式辞のために、言い回しを去年とちょっと変えようとか工夫するのも無駄なのだ。 去年のを極力流用して、違うところだけ新たに起こすのは正しい。
岸田君を擁護している訳じゃない。 悪くはないが足りないと思う。
流用率を上げるのは良い。 でもこれ、製作側の無駄の排除でしかないんだよな。 出来上がった原稿をそのまま読むなら、聴いてる側の時間は無駄なまま。 岸田君に足りないのは、こちらに対する配慮と工夫だ。
いや、はっきり言おう。 お前らだけ楽をするな。
じゃあ具体的にどうすりゃ良いのかって話だが、卒業証書を読む校長的な 「以下同文」 はどうだろう。 去年と違う部分を冒頭に持ってきて、それだけ読んで、後は 「以下、去年に同じ」 で終わるのだ。
これで式辞を聞く側の無駄を大きく改善できる。 定着すれば、逆にたまに長く読むことで 「あれ? なんか情勢が変わった?」 と注意喚起もできる。 ついでに東京新聞も記事を書きやすくなるだろう。
どう?