いい薬があります

京アニの放火を取り上げたコラムが非公開になったそうだ。 BIGLOBEニュースから抜粋。

放火事件に見舞われた京都アニメーションを「麻薬の売人以下」などと表現したコラム「終わりなき日常の終わり:京アニ放火事件の土壌」に批判の声が相次いでいる。 ビジネスメディア「INSIGHT NOW!」に掲載されたこのコラムは24日、非公開にされた。 取材に対して運営会社は、内容に「一部不適切な発言があった」とコメントした。

このコラムは、大阪芸術大学の純丘曜彰教授が「INSIGHT NOW!」に寄稿し、21日に掲載されたもの。 1970年代からのアニメ業界の歩みやトレンドを解説し、京都アニメーションの前身が「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」に携わったことが、同社の後の方向性を決定づけたとしている。 その後の京都アニメーションの作品については、「一貫して主力作品は学園物」で、「らき☆すた」や「涼宮ハルヒの憂鬱」など、「似たり寄ったりの繰り返し」とのこと。 また、学園物は「中高の共通体験以上の自分の個人の人生が空っぽな者、いや、イジメや引きこもりで中高の一般的な共通体験さえも持つことができなかった者が、精神的に中高時代に留まり続けるよすが」だと考察している。

そして、こうした人たちをファンにすると、「いつか一線を越えて、作り手の領域に踏み込んでくる。 それが拒否されれば、連中がどう出るか、わかりそうなもの」とのこと。 最後には、京都アニメーションを「偽の夢を売って弱者や敗者を精神的に搾取し続け、自分たち自身も中毒に染まるというのは、麻薬の売人以下だ」と断じた。

他にもいくつかこの件を扱った記事を見たが、どれも一方的に非難する方向なんだよな。 コラムの文章を切り貼りして。 なのでまずは問題のコラム原文を読んでみたかったのだが、掲載元の INSIGHT NOW! では削除済み。 色々探して魚拓を見つけた。 そこから全文を掲載。

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あまりに痛ましい事件だ。 だが、いつか起こると思っていた。 予兆はあった。 たとえば、16年の小金井事件。 熱烈なファンが豹変し、本人を襲撃。 アイドルやアニメは、そのマーケットがクリティカルな連中であるという自覚に欠けている。

もとはと言えば、1973年の手塚プロダクションの瓦解に始まる。 同じころ、もう一方のアニメの雄、東映も労働争議で多くの人材を放出。 かれらは、それぞれにスタジオを起こした。 だが、これらのスタジオは、アニメの製作ノウハウはあっても、資金的な制作能力に欠けており、広告代理店やテレビ局の傘下に寄せ集められ、下請的な過労働が常態化していく。

そんな中で74年日曜夜に放送された『宇宙戦艦ヤマト』は、視聴率の低迷以前に予算管理と製作進行が破綻して打ち切り。 にもかかわらず、時間帯を変えた再放送で人気を得て、77年に映画版として大成功。 当初はSFブームと思われ、78年の『銀河鉄道999』や79年の『機動戦士ガンダム』が続いた。 しかし、サンリオ資本のキティフィルムは、80年に薬師丸ひろ子主演で柳沢きみおのマンガ『翔んだカップル』を実写化し、SFではなく、その背景に共通しているジュブナイル、つまり中高生モノの手応えを感じており、81年、アニメに転じて『うる星やつら』を大成功させる。

このアニメの実際の製作を請け負っていたのが、手塚系のスタジオぴえろで、その応援として、同じ手塚系の京都アニメーションの前身が稼働し始める。 そして、その後のアニメ業界の大勢の方向を決定づけたのが、84年、この監督だった押井守の映画版オリジナルストーリー『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』。 SF色を取り入れた学園コメディで、学園祭の準備が楽しくて仕方ない宇宙人の女の子ラムの夢に世界が取り込まれ、その学園祭前日を延々と毎日、繰り返しているという話。

アニメには、砂絵からストップモーションまで、いろいろな手法があり、セル画式だけでも、『サザエさん』や『ドラえもん』のようなファミリーテレビ番組はもちろん、『ドラゴンボール』や『ワンピース』のような人気マンガを動かしたもの、『ベルサイユのばら』『セーラームーン』のような少女マンガ系、『風の谷のナウシカ』や『AKIRA』のようなディストピアSF、さらにはもっとタイトな大人向けのものもある。

にもかかわらず、京アニは、一貫して主力作品は学園物なのだ。 それも、『ビューティフル・ドリーマー』の終わりなき日常というモティーフは、さまざまな作品に反復して登場する。 たとえば、07年の『らき☆すた』の最終回第24話は、『BD』と同じ学園祭の前日。 エンディングでは、あえて『BD』のテーマ曲を下手くそに歌っている。 つまり、この作品では、この回に限らず、終わりなき日常に浸り続けるオタクのファンをあえて挑発するようなトゲがあちこちに隠されていた。 しかし、「エンドレスエイト」として知られる09年の『涼宮ハルヒの憂鬱』2期第12話から19話までとなると、延々とほとんど同じ夏休みのエピソードが繰り返され、『BD』に悪酔いしたリメイクのような様相を呈する。

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これらだけでなく、マンガを原作とした『聲の形』もまた、終わらない中高時代を終わらせようと、もがき苦しむ物語。 二人は、終わりなき日常か、さもなくば死か、という極端な選択肢しか見いだせない。 大人になる、昨日と明日を切り離して客観視する、という結末に辿り着くまで、紆余曲折、七転八倒で、のたうちまわる。 新海の『秒速5センチメートル』の二人が、こともなげに過去と距離を作って大人になっていくのとは対照的だ。

それもこれも、京アニという製作会社自体が、終わりなき学園祭の前日を繰り返しているようなところだったからだろう。 学園物、高校生のサークル物語、友だち話を作り、終わり無く次回作の公開に追われ続けてきた。 内容が似たり寄ったりの繰り返しというだけでなく、そもそも創立から40年、経営者がずっと同じというのも、ある意味、呪われた夢のようだ。 天性の善人とはいえ、社長の姿は、『BD』の「夢邪鬼」と重なる。 そして、そうであれば、いつか「獏」がやってきて、夢を喰い潰すのは必然だった。

なぜ学園物、子供以上大人未満のジュブナイルが当たったのか。 なぜそれが日本アニメの主流となってしまったのか。 中学高校は、日本人にとって、最大公約数の共通体験だからだ。 入学式、修学旅行、学園祭、卒業式。教室、体育館、登下校。だが、実際のファンの中心は、中高生ではない。 もっと上だ。 学園物は、この中高の共通体験以上の自分の個人の人生が空っぽな者、いや、イジメや引きこもりで中高の一般的な共通体験さえも持つことができなかった者が、精神的に中高時代に留まり続けるよすがとなってしまっていた。 それは、いい年をしたアイドルが、中高生マガイの制服を着て、初恋さえ手が届かなかったようなキモオタのアラサー、アラフォーのファンを誑かすのと似ている。

夢の作り手と買い手。 そこに一線があるうちはいい。 だが、彼らがいつまでもおとなしく夢の買い手のままの立場でいてくれる、などと思うのは、作り手の傲慢な思い上がりだろう。 連中は、もとより「学園祭」体験を求めている。 だから熱烈なファンになったのだ。 自分自身のアイデンティティ無き「顔無し」は、あたかも自分自身で作ったかのように作品群に心酔し、批判を狂ったように蹴散らす。 グッズを買い集め、「聖地」を巡礼し、いつか一線を越えて、作り手の領域、作り手の立場にまで、かってに自称で踏み込んでいく。 最高に熱烈なファンの自分こそ「学園祭」の一番の主役であるはずだ、と。 だが、それを拒否された、否定されたと思い込めば、彼らの凶暴なもう一面が歯を剥いて襲いかかって、破壊に転じる。

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(クリント・イーストウッド『恐怖のメロディ』(70)、スティーブン・キング『ミザリー』(87)、ピーター・エイブラハムズ『ザ・ファン』(95)などに描かれてきたように、彼らは関係の距離感が壊れている。 いや、自分の手もとにあり、耳元でささやき、リビングに現れる出版やラジオ、テレビというマスメディア、そして、タレントやスター本人が、その距離感の無さ、気さくな親しさ、という幻想をウリにしてきた。 自分が接している、というだけで、彼らに、自分だけが接している自分は特別な存在だ、と錯覚させて商売してきた。)

『恋はデジャブ』(93)という映画がある。 これもまた、同じ一日をループで繰り返しながら、主人公が精神的に成長するという物語。 この話では、主人公だけでなく、周囲の人々も同じ一日を繰り返す。 つまり、主人公の成長を待ってくれる。 だが、映画と違って、現実は、そうはいかない。 終わりの無い学園物のアニメにうつつを抜かしている間に、同級生は進学し、就職し、結婚し、子供を作り、人生を前に進めていく。 記号化されたアニメの主人公は、のび太もカツオも、同じ失敗を繰り返しても、明日には明日がある。 しかし、現実の人間は、老いてふけ、体力も気力も失われ、友人も知人も彼を見捨てて去り、支えてくれる親も死んでいく。 彼らは入れてもらえるリアル中高生のようなLineも無く、数十万もの言葉をいまだにtwitterで虚空に叫ぶ。 こういう連中に残された最後の希望は、自分もどこかすでにある永遠の夢の学園祭の準備の中に飛び込んで、その仲間になることだけ。

起業する、選挙に立候補する、アイドルやタレント、芸人になる、小説やマンガの賞に応募する、もしくは、大金持ちと結婚する。 時代のせいか、本人のせいか、いずれにせよ、人生がうまくいかなかった連中は、その一発逆転を狙う。 だが、彼らはあまりに長く、ありもしないふわふわした既製品の夢を見させられ過ぎた。 それで、自分で自分自身の夢をゼロから積み上げて創れない。 一発逆転も、また他人の出来あいの夢。 だから、かならず失敗する。 そして、最後には逆恨み、逆切れ、周囲を道連れにした自殺テロ。

いくらファンが付き、いくら経営が安定するとしても、偽の夢(絶対に誰も入れない隔絶された世界)を売って弱者や敗者を時間的に搾取し続け、自分たち自身もまたその夢の中毒に染まるなどというのは、麻薬の売人以下だ。 こんなビジネスモデルは、精神的サブプライムローンのようなもので、いつか破綻する。 そして、実際、その崩壊が始まった。 リアル中高生が食いつかず、市場が高齢化し縮小してきている。

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まずはこの業界全体、作り手たち自身がいいかげん夢から覚め、ガキの学園祭の前日のような粗製濫造、間に合わせの自転車操業と決別する必要がある。 もう学園祭は終わったのだ。 休もう。 番組も、映画も、穴を開けて休もう。 あれだけの京アニの惨事を目の前にしながら、よりタイトな状況で黙々と規定の製作スケジュールをこなそうとしていることこそ、異常だ。 こんなときくらい、京アニにかぎらず、業界の関連全社、いったん立ち止まって、仕事や待遇、業界のあり方、物語の方向性、ファンとの関係を見直し、あらためてしっかりと現実にツメを立てて、夢の終わりの大人の物語を示すこそが、同じ悲劇を繰り返さず、すべてを供養することになると思う。

コラムが掲載された INSIGHT NOW! では、サイト構成の都合でページ分割されるようで、それぞれのページが魚拓として残っていた。 このページ分割の結果を - N - で示している。

魚拓の採取は7/23〜7/24で微妙に幅があった。 どうやらこの間に一度修正があったらしい。 魚拓の先頭ページでは1〜3のページ遷移用のリンク設定が、2ページ目以降は1〜4のページ遷移用リンクが設定されていた。

ページを明示しているのはこのため。 ニュースの記事中で切り貼りされている論旨が大きく変わるとは思えないが、一部で整合性が取れなくなっている可能性もあるからね。 その辺の参考に…なるのか微妙だが…。

このコラムは公開即炎上したようで、すぐに大幅に修正したものに差し替えられた。 それも魚拓から拾ってきた。 以下は7/25採取の魚拓。

あまりに痛ましい事件だ。 もとはと言えば、1973年の手塚プロダクションの瓦解に始まる。 同じころ、もう一方のアニメの雄、東映も労働争議で多くの人材を放出。 かれらは、それぞれにスタジオを起こした。だが、これらのスタジオは、アニメの製作ノウハウはあっても、資金的な制作能力に欠けており、広告代理店やテレビ局の傘下に寄せ集められ、過労働が常態化していく。

そんな中、74年日曜夜に放送された『宇宙戦艦ヤマト』は、視聴率の低迷以前に予算管理と製作進行が破綻して打ち切り。 にもかかわらず、時間帯を変えた再放送で人気を得て、77年に映画版として大成功。 当初はSFブームと思われ、78年の『銀河鉄道999』や79年の『機動戦士ガンダム』が続いた。

しかし、キティフィルムは、80年に薬師丸ひろ子主演で柳沢きみおのマンガ『翔んだカップル』を実写化し、SFではなく、その背景に共通しているジュブナイル、つまり中高生モノの手応えを感じており、81年、アニメに転じて『うる星やつら』を大成功させる。

なぜ子供以上大人未満のジュブナイルが日本アニメの主流となったのか。 中学高校は、日本人にとって、最大公約数の共通体験だからだ。 しかし、いま、もはや市場が高齢化してきている。 だから、この機に事業再編し、常態化した過労働と決別する必要がある。

あれだけの惨事を目の前にしながら、よりタイトな状況で規定の製作スケジュールをこなすのは無理だ。 休もう。 番組も、映画も、穴を開けて休もう。 業界全社、いったん立ち止まって、仕事や待遇、業界のあり方、物語の方向性、ファンとの関係を見直し、あらためて大人になる物語を示すこそが、同じ悲劇を繰り返さない一歩になると思う。

※ この記事は、大阪芸術大学の意見・見解を代表・代弁するものではありません。

炎上しそうな部分を全部削ったんだね。 その結果、なんで 大人になる物語悲劇を繰り返さない一歩 になると考えたのかという一番大事な部分が見えなくなってしまって、コラム自体の存在意義が無くなってしまっているが。

しかし何だろうね、これ。 犯人も自身のつけた火に巻き込まれて重態で、まだ事情聴取すらできてない状態なのに、事件を引き起こした動機から社会的な背景まで論じて見せる。 アニメ作品の変遷とその社会的な背景はきっとコラムで筆者が示す通りなんだろうが、犯人像は思い込みの産物。 なので当然だが、アニメ業界と犯行とを結びつけるのも思い込み。 ひたすら情緒的。 しかも実際そうなんだよと例示するのが映画という…。 もしも犯人が統合失調症だったら、病の原因も終わりなき日常アニメのせいと言うのだろうか。

好意的に考えるなら、きっと軽く炎上させたかったのだろう。 軽く煽って程良く炎上させて、話題になって、それでアニメ業界が改善される契機になればと。 この人、朝まで生テレビにも関わっていたそうで、きっと煽るのは得意だろうし。

でも結果は予想以上の炎上。 所属の大阪芸術大学にも、きっと抗議があったのだろう。 大幅に削除した上に所属とは無関係との断りを入れて、それでも火は消えず、結局は掲載メディアによる削除。

終わりなき日常アニメが見せる甘い夢が麻薬なら、そこから覚めろというこのコラムは覚醒剤ってとこか。 で、その覚醒剤に過剰反応した者に襲われかねないとしてコラムが削除されるとか、自らのコラムで 麻薬の売人以下 と非難しているのと同じ構図なんだよな。 謂わば覚醒剤の売人以下。 という自覚は、きっと無いんだろうな。

あ、実は個人的に犯人を知っている可能性もあるのか。 だから事情聴取の結果がマスコミに流れるのを待つまでもなく、こんなコラムを書けるのかもしれないな。

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薬絡みでニュースをもう一つ。 昨日のFNNから抜粋。

カンボジアの首都プノンペンで7月24日、1人の男が覚せい剤所持で逮捕された。 カンボジアのメディアは翌25日、「プノンペン中心部の繁華街で、不審な動きをしていた日本人デザインエンジニア・ハタムラ・ユウイチを拘束し、所持品から覚せい剤の小袋2つが発見された」と一斉に報じた。 しかしFNNが日本大使館に確認したところ、意外な返答を得た。

〜中略〜

FNNが地元カンボジア警察に取材をしたところ、男が逮捕された経緯が分かってきた。 男は24日夜、プノンペンの繁華街で不審な動きをしていたところ、地元の警察官に拘束され、警察署まで連行された。 そして所持品検査を行ったところ、覚せい剤の小袋2つが発見されたという。 その後、男は取り調べの際に警察官に対し「私は日本人です。名前はハタムラ・ユウイチです。38歳です。」と名乗ったため、カンボジア警察はそれを信じ、翌25日にカンボジアメディアは警察情報をもとに「日本人逮捕」と一斉に報道した。

ところが日本大使館の担当者が直接本人と面談したところ、日本語が全く通じず、また全く書くことができないことが判明したという。 それでも「日本人です」と本人は言いはったものの、その後の調べで男は日本国籍ではなく、韓国国籍であることが判明したという。

真偽を確認するため、FNNは容疑者のパスポートを確認した。 男のパスポートの表紙には「Republic of Korea」の文字。 男は韓国のパスポートでカンボジアに入国していた。氏名の欄には「KANG JU SUNG」と記載され、顔写真は逮捕された男と明らかに同一人物であった。

〜中略〜

男がなぜ「日本人」と名乗ったかは明らかになっていない。

日本人を名乗るのは、まあ、いつものことなんだよな。 今に始まったことじゃ無い。 こっちはこっちで、早く夢から覚めてほいしいものだな。