グスタフ・クリムト

東寺展を見ようと上野に行ったのだが、行列に心が折れた。 まずチケットを買うための行列。 これが券売所から溢れて歩道の遥か彼方に続く。 聞けばチケットを買うまでに30分から1時間ぐらいかかるとのこと。 そしてチケットを買った先にも行列。 入場までにまた30分ぐらい見て欲しいとか。 俺には無理だ。

ということで、予定を変更して東京都美術館へ。 こちらは現在 クリムト展 - ウィーンと日本 1900 を開催中。

こっちがまた人気の画家の展覧会なので混んでいるかと思ったが、思った程じゃなかったな。 チケットを買うまでに並ばなければいけないのは東寺展と同じだが、こちらの待ち時間は5分。 入場制限もしているとのことだが、チケットを買って5分も待たずに入れた。 館内の混雑も程々。

展示の構成は以下の通り。

  1. クリムトとその家族
  2. 修行時代と劇場装飾
  3. 私生活
  4. ウィーンと日本 1900
  5. ウィーン分離派
  6. 風景画
  7. 肖像画
  8. 生命の円環

展覧会の謳い文句は 過去最大級 で、実際展示品は多いのだが、クリムトの作品は半数弱といったところ。 それでも過去の展覧会からすると十分に多いんだけどさ。 まあ、クリムトの生涯を通して見せるなら、修行時代や分離派立ち上げ前後で影響を与え合った画家たちの作品と並べるのは必須だろうし、この割合に文句は無い。 でも、ここで春画が要るのかね。 見せるなら琳派だろう。

先にクリムト以外で印象に残っている画家・作品を挙げておこう。

まずはハンス・マカルト。 人呼んで絵画の王。 クリムトの師匠でもある。 赤の使い方が好き。 この展覧会では 夏の夜の夢装飾的な花束 が展示されていて、クリムトとは違う方向性の華やかさで目立っていた。

次いでフランツ・マッチュ。 クリムトと同窓の画家。 学生時代の課題作(だったかな?)である レース襟をつけた少女の肖像 が、クリムトの作品と並べて展示されていた。

クリムトもマッチュも画家としての基本的な能力が高いため、対象を忠実に再現すると、もうそこに個性の入る余地が無い。 そのため、並んだ二つの作品は、同じ人を違う角度から描いたものだとすぐに判るし、同じ人が描いたと言われたら信じそう。

それでもよく見ると違いはあって、マッチュの方が堅実で緻密。 同じものを描いた作品はこれだけなので単純に比較はできないが、他の作品でも、受ける印象はだいたい同じだった。

そしてクリムト。

はっちゃけて以降の金ピカ作品のイメージが強いクリムトだが、まず単純に絵が上手いんだね。 お前は画家に向かって何を言ってるのかと突っ込まれそうだが、人の顔を画家の個性を排除できるレベルで忠実に描ける画家って、実はそう多く無いからね。 俺は今日までクリムトも描けない側だと思っていたのだが、今日で認識を改めた。

以下、感想など徒然に。

ユディト Ⅰヌーダ・ヴェリタス から始まる、いわゆる黄金様式の作品が、これまでのアカデミックな画風を捨てて自由にやるという宣言だというのは判る。 いやもう他に解釈しようもないだろう。 でも、これらが抑圧された女性の解放ってのは、どうなんだろう。

モデルに次々と手を出し、一度も結婚したことがないのに、気がつけば私生児が十人以上。 そんなクリムトの作品を女性の解放と言う文脈で語るのは、彼の行為を正当化するための詭弁じゃないか。 モデルの側の本音も聞いてみたいものだな。 これを解放だと思うか。 解放されたかったのか。 等々。

ベートーヴェン・フリーズ は、絵は好き。 西洋浮世絵って感じで。

気になったのは、絵と絵の隙間。 むき出しのコンクリート状の壁が結構な幅を占めていたのだが、本来の展示でもああなっているのだろうか。 それじゃせっかくの金色が映えない気がするのだが。 音楽に合わせると、ああなるのが正解なんだろうか。

風景画もクリムト風だった。 都会を離れた時だけ、風景画を描いていたのだそうだ。 アッター湖畔のカンマー城 Ⅲ とか、なんか楽しく描いてそうな絵だなと思ったが、実際気楽に描いていたのだろう。

17歳のエミーリエ・フレーゲの肖像 が綺麗。

クリムトは肖像画もたくさん描いていたが、中にはクリムトに描かれたことを後悔している人もいたとか。

きっと描かれる側が自分の嫌な部分と思っているところを、持ち前の画力で、その人の特徴としてきっちり描いたのだろう。 そんな出来上がりにモヤモヤしているのに、周囲の評判は 「さすがクリムト! そっくり!」 だったりして、もう否定もできない。 更にはモデルにすぐ手をつけるクリムトというイメージから、モデルになったのだからそういう関係になったに違いないという噂まで…。

そんな後悔だったのかも。

現物は焼かれて、残っているのは写真(なのか?)のみという 医学哲学 は、公開当時はエロ過ぎると批判を受けたそうだ。

依頼した大学側は知性の勝利を象徴するような絵を期待していたとのことで、その期待はまるで叶わなかったのかもしれない。 でも、じゃあ知性の勝利って何?

学問の道を妨げる誘惑を排除した状態で得た知性の勝利って、要するに不戦勝だよな。 誘惑に打ち勝ってこその知性の勝利だろう。 誘惑の魅力が大きければ大きいほど、勝利の価値も大きくなるのだ。 なのにそこで誘惑を排除って、医学も哲学もエロには勝てませんという敗北宣言じゃないか。

と、負けたいのに誘惑されない俺が言ってみる。

館内各フロア毎に2周したりとたっぷり堪能して、外に出たら入場待ちの行列が滅茶苦茶伸びていた。 あんまり待たずに入れたのは、たまたまタイミングが良かっただけか。

明日は東寺展に再チャレンジ。 もう少し早い時間に来てみよう。